SHIRACO WORLD

万博とわたし②

世の中の多くの人々にとって、表舞台に立つアーティストは夢を届けてくれる者の象徴かもしれない。(本来はそれだけではないのだけれど)

だから、エンターテイメントの側面から見ると、楽しい・嬉しいことだけを書き残せばいいのかもしれない。

でも現実は、一言では言えないほどいろんな出来事があって・・・

2020年のコロナ禍、レッドソファが無期限延期になったのをきっかけに制作に勤しみ生み出した作品【alive】シリーズは、『いのちはめぐる』というコンセプトで展開し、2021年1月に、個人ではかなり大きな規模のインスタレーションの個展を開いた。
https://youtu.be/5-4U36KirOI

その素材をつくる過程で、自然に起こる動きがまるで生き物のようで、わたしはその一つ一つの愛おしいいのちたちにすっかり魅了されてしまい、「これだ!これで万博のパビリオンをやりたい!」とワクワクする妄想を頭に思い描いた。
https://www.instagram.com/p/B_r2MI3jDDg/?igsh=MXYyN2tmOTZnZXBvdA%3D%3D

いつ終わるかわからない静寂に希望の光が差した。

いつの頃だったか、万博に対して世間の逆風が吹く少し前だったか(記憶は定かではないが)、万博の内容が徐々に決まり出した頃、その内容の一部を知る人たちから、「アートのアの字もないよ。」という声をよく聞くようになった。

アート主体で見せる展示は、公式では無いのだろう、というのは想像できた。

わたしがやろうとしているのは個人的な取り組みだから、公式で認められることはない。ならば民間のパビリオンで実現するしかない!と。

万博関係者の方々に、どうすれば無名の一アーティストが関われるか訊ねてみたところ、【共創チャレンジ】というのがあるから、それに企画を登録して協力者を募るのが一番近道だと教えてもらった。

万博と名のつく関連イベントにも行ける範囲で足を運び、マイクを持たせてもらえる機会があれば想いを訴え、人との繋がりをつくりながらチャンスを探していた。

資金0、仲間0からこの規模の企画を動かすのはやっぱり難しかった。

企画を実現するためには、いろんなポジションの協力者が必要だったが、誰もが日々の業務がある中で、同じ熱量でコアに動いてくれる仲間が見つからず・・・返事が来ない、本気にされない、断られる・・・など、様々な要因で結局仲間が見つけられなかった。施工などで協力したいと言ってくれていた人たちもいたけれど、彼らに関わってもらう前段階で共に動いてくれる人には出逢えなかった。

アートに関しては、アートイベント以外でアートが主体になることはない。(あったら教えてほしい)

一般大衆に向けた祭典で多くの人の心にメッセージを届けるためには、あまりにも振り切りすぎたものは好まれなくて、あくまでアウトプットの一つの方法として、『アート的な』『アートっぽい』クリエイティブが必要になってくるものだから、おそらく万博もそうだろうと予想していた。

実際に万博を体験して、やっぱりそうだったと感じている。

わたしはアートディレクターとしての視点も持っているけれど、アーティストとして関わりたかったから、企画を万博に寄せるのはわたしの中では違和感があった。

たまたま創作のテーマにしていることが万博のコンセプトと一致したからエンジンがかかってしまって、万博を舞台に表現したいという想いに一直線に走り出して、そのまま方向転換ができなかった。

どうしてもその“愛おしいいのちたち”の動きを再現したくて・・・

サステナブル、リユースに昇華出来なかった。

アーティストとしては、あくまで表現したいことが根底にあって、それを万博という大きな舞台で実現させたかった。

自分の中の妄想に溺れて万博の中での役割がしっかり見えていなかったのだと思う。ある意味まだ若かった。

万博が開幕して実際に足を運んで、なんとなくやろうとしていることが似ているなぁと思う企画を目にして、気付かされた。例えば小さな規模であっても、0か1では雲泥の差だ。自分の頭の硬さを笑った。

結果的に公式で大々的な『個展』を実現させたのは落合陽一さんだけだと思う。異彩を振り切った結果、公に認められて多くの人々の心を掴んだ。それにより、時代の感性がアップデートされただろう。万博という舞台だったからこその結果に違いない。

テーマ事業プロデューサーの一人、アーティストの落合陽一さん。本当に凄い人だ。

落合陽一プロデューサーのパビリオン【null2】
何度も予約にトライしたけど結局入れなかった!残念

大きな企画を実現するためには、膨大な資金が要る。資金は、信用のない者には集まらない。

信用は、積み上げてきた実績だ。

それをつくるのにはどうしても時間がかかる。

パッと出てきた何の肩書きも持たない得体の知れないやつの夢なんて、誰が力を貸してくれるの?という話で。

でも、「だから実現出来なかった」のではないと思っている。こういう場合、わたしは総じてタイミングが合わなかったのだと思う。

ずっと活動し続けている延長線上で、あらゆるタイミングが交わった時に一気に動き出すものだから。

もしかするとこの先、カタチを変えて実現するかもしれない。