2025-10-15
万博とわたし④
パビリオンはもうほとんどできていて、内装工事が始まるのは◯月頃だから、もしもビジュアルで関われるとしたら決定が◯月くらいだよ、という具体的なスケジュールが出てき始めた頃、2023年。
わたしは心身を患いながらも必死に踠いていて、万博と並行して他でも自分の実力を発揮できるチャンスを掴みたくて、新しい出逢いを求めて開拓していた。
2023年9月〜10月下北沢での個展、2024年大阪での個展、そして、万博よりもっと以前から願っていた夢が叶った。それが、阪急うめだ本店コンコースウインドーのアートワーク案件だ。2024年の個展が終わって間もなくのことだった。
https://www.shiraco.world/colorfulworldtour/
アーティスト活動とアートディレクターの仕事をフリーでやっている身としては、やっときたこの流れを逃したくない!という想いでその志事に全力を振り切った。いろんなご縁が結びついて、有難いことに今年の夏までとても忙しくて、万博も開幕当初は行けなかった。
実は今年、万博ともう一つ、達成したかった目標があって。それも何年も前から願っていることで、それが叶うかどうか決まるのが夏だった。(と思い込んでいた。)
それが叶ったら、もう忙し過ぎて万博どころじゃなくなるだろう、と思っていた。
結果的にはわたしが思い込んでいたスケジュールよりも早くに決まっていて出遅れてしまい、今年は叶わないことが確定してしまった。
それがわかった瞬間、脳内でスイッチが切り替わった。
もう、万博しかない!
やっぱり今年は万博に出ることになってるんだ!
と、もう一度奮い立った。
レッドソファのことは、常にわたしの頭の中にある。ライフワークとして続けていくものだから、心身が不調な時は無理したくないし、アーティストとして今しかないチャンスが巡ってきたならそれを優先したいと思っていて、わたしの生きる道を共に歩んでくれる分身のように思っている。
だから、今年の3月に静岡のアートイベントで決行して、6月に大阪高島屋で展示させてもらって、とてもいい流れを感じていたけれど、今年はアーティストとしての志事を優先したいという想いが強くて。
このいい流れを汲んでもレッドソファで万博出演が叶わなかったら、会場までの路上でゲリラでやろう!と思っていた。

大好きな街!また逢いましょう〜!


Osaka Art and Designに参加
それなのに、やっぱり。
やっぱり関わりたい。
虫が良すぎると思われても仕方ないかもしれないけれど・・・
本当に・・・
本当にわたしは、いつも気づくのが遅い。
2020年の万博関係者の会合で、万博協会の方々やプロデューサーの方、中枢にいる何人かの方と名刺交換をさせて頂く機会があった時に、レッドソファの取り組みの話をして、とても面白がってくれていたことを思い出す。
他にもいろんな人が共感してくれて、応援してくれていたのに・・・
あんなにみんな、言ってくれていたのに・・・
レッドソファ面白いって。
レッドソファは万博にピッタリやん!って。
本当にもう・・・わたしって・・・
開幕してから、万博関連の仕事をしている人たちや出逢う人出逢う人に「レッドソファで万博出たいんです!今からだとどんな方法がありますか?」と不躾な相談をしては、「自分たちも出たくて動いているけどなかなか難しくて・・・」という返事を聞くこともあって、関わることの難しさを痛感していた。
何人かの人から、既に決まっているイベントに入らせてもらうしかないかも、というアドバイスをもらった。
イベントか・・・
企画を実現する大変さを知っているから、後から突然出てきたやつを快く迎え入れてくれるイベントなんてあるのかな・・・?
みんな自分の足で稼いで時間をかけて辿り着いてるから、簡単な道のりじゃないから、本気でやりたい!と思って行動している人にしかチャンスは巡ってこない。
運や縁に委ねるのは、最善を尽くしてからだ。
万博の様子はSNSでチェックしながら、通期パスを買ってやっと初めて行けたのが、8月23日。
その日は花火が上がる日で、土曜ということもあり、すごい人だった。入場できた頃にはもう日が沈んでいて、はじめて目にした万博会場は、夜モードだった。
初めての入場ゲートの、西日で暑い中での待ち時間に疲れていたせいか、花火を見ても、パビリオンを見ても、心が動かなかった。
なんでだろう?
夜だからかな・・・?
昼間の明るい青空の下で観たら、もっとワクワクするのかな?と思った。
今思えば、心が動かなかったのはきっと、わたしの本心からのSOSだったのだ。