SHIRACO WORLD

万博とわたし⑤

8月の終わりに、ある人からイベントの案内が届いた。概要をよく見ると、『アーティスト募集』『万博会場内』の文字が!

まさか!と思って、ドキドキしながら連絡を取った。

そのイベント自体は万博とは直接関係はないものの、開催場所の一つとして万博会場があった。

レッドソファで参加したい、できれば万博会場で!と伝え、返事を待った。

それが叶うなら、大切な要件で東京行きを予定していたけれどスケジュール変更も厭わないつもりで。

が、しかし。

そんなに甘くはなかった。

9月2日。
2回目の万博で夕陽を見ていた。

とても美しい空だったけれど、虚しさを感じていた。

感動しない自分に嘆いていた。

感動は与えられるものではないなとつくづく思う。自らの中に見出すものなんだろう、と。

だから他人任せに生きていると、どんどん枯渇していく。感性が渇き切ってしまう。

自ら生み出せる人が本当の意味で生き残れるのだろう、と。

そう、わたしは表現者だ。

感動を生み出す側の人間でありたい。

その日は、【ずっと真夜中でいいのに。】のライブに当選していた。EXPO アリーナMatsuriという巨大な会場。
こんなところに呼ばれるアーティストって凄いな。最近の活動はまったく知らないけれど、大阪や関西に所縁がある人たちなのかな?と。

そしたら最後の最後、ボーカルの女性がMCで、「万博が好きで、自ら万博協会に問い合わせをし、出演が決まった」と。

「自分たちは大きな事務所に所属しているわけでもないから、全部自主制作で、大赤字だ」と。

驚いた。

心が動いた。

帰り道、スマホを確認すると、

一旦出れるような回答をもらっていたそのイベントは、何か行き違いがあったようで参加不可とのこと。

やっぱりダメだ、降って湧いたような話にラッキーだと思って飛びついてしまったけれど、甘かった。

胡座をかくなよ

足で稼げ

と聞こえた気がした。

まだだ・・・

まだ、わたしはやり切ってない。

わたしの神様が、わたしを諭すために見せてくれた蜃気楼だった。

翌日の9月3日。

この日は石黒浩プロデューサーのパビリオンへ。

予約の時間の少し前にパビリオン前に到着すると、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。

以前とあるパビリオンのビジュアルのコンペでわたしとわたしが推薦したアーティストたちを出してくれた企業の方だった。

思わず声を掛けたら、お仕事で訪問されていたところで、同行されていた方々をご紹介いただけた。

なんと、石黒館の照明に携わっておられる企業様だった。

そこでもわたしは「どこかでレッドソファできないですかね〜」などと場をわきまえず訪ねていた。

必死だった。

夕暮れ時、ウォータープラザから眺めた空には、ラピュタのような美しい造形の雲が。西の空は真っ赤に燃えていて、心を奪われた。赤い空が大屋根リングの向こう側に溶けていくのを見届けた。

いろんな想いが込み上げる。

万博3回目にして、やっと万博に感動している自分に気づいた。

帰り、東ゲートから出て凄い人波の中、夢洲駅へ向かっていると、若い男性の声が聞こえた。
『2025年9月3日!今日のことは俺、何十年経っても絶対忘れないと思う!』
それに応えて女性が『わたしも!!』と。

いいやん、万博。

こんな若い人たちにも夢と希望を与えている・・・

大成功だよ、万博!!!

またわたしの中で、

いろんな想いが駆け巡った。