旅する赤いソファプロジェクト

赤い;002何を感じるかはあなたの自由


赤い;001 から読んでください

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2020年1月も終わろうとしている今、わたしは大阪でこのブログを書いている。
たった7ヶ月前のことなのに、もう随分昔のことのようにも思う。
いや、過ぎ去ったこと、という意味ではなくて、なんだかもう、とても長い時間をかけて旅をしているような感覚なのだ。
それはきっと、この『旅する赤いソファ』がわたしの人生そのものになったからだろう。
情熱が冷める冷めないとかいう問題じゃ、もはやない。
人生なのだから。

わたしは、生きることを自らやめたくはないのだ。

どうやら過去というのは、もう今現在は継続していないことを指すようだ。
この一年、半年で、新たにいろんな人たちに出逢ったり、再会したり、毎日様々な出来事が巻き起こっていく中で、わたし自身も日々アップデートされていく。
だから、鮮明に思い出せない部分も多い。それはきっと今のわたしにとって、”過去”なのだろう。逆に言えば、今も鮮やかに脳裏に残っている映像は、わたしにとって真っ最中の”今”なのだ。

赤いソファの重み、狭い保管場所のカビ臭い湿った空気、アリス像前で焼け死ぬかと思うくらいの暑い日差し、セントラルパークでの少年との出逢い。仲間の充実した顔や疲れた顔。そして座ってくれた人々の笑顔。

きっと、一人で簡単に出来たことなら、なんて事のない想い出となって色褪せていくのだろう。

いっぱい汗をかいて、いっぱい涙を流した。

長いか短いかわからないけれど、一度きりの人生でその経験ができて本当によかったと心から思う。
そして、その感覚は、これからもずっと忘れてはいけないし、そう感じられる生き方をすると決めた。


初心を忘れない。
原点回帰。



photo:Nao


この一枚の写真を見て、あなたは何を思いますか?

どこココ?

ニューヨーク?

タイムズスクエア!

え?ソファ?

こんなとこに置いていいの?

どうやって運んだの?

ていうか・・・

何してるの???



みんな、まずそう思うよね。
きっと7ヶ月前のわたしも、この写真だけを見たら、単純にそんな疑問が浮かんでいただろう。
シャッターを切るその時までどんな事があったかなんて、すべて想像できる人はまずいないはずだ。

NYから帰ってきて、ある人に話を聞いてもらおうとした時に、想いが溢れ出しそうで言葉を詰まらせた。
すると、「わかるよ、あの写真見ただけで。あの裏側に、どんな苦労があったか。どんな感動があったか。・・・よくやったね。」
と言ってくれた。

とても有り難い言葉だった。

でも。

やっぱり、
本当のことは、現場にいた者にしかわからない。
目の当たりにした者にしかわからない。
全身で空気を味わった者にしかわからない。

それも、それぞれの立場で感じるものだから。
わたしも彼も彼女も、同じ瞬間、きっと違う物語を経験してる。

それがリアルというもの。
それでいいのだ。

すべて正確に伝えようなんて思わない。

誰がどんな想いでやったのかなんて、
歴史には残らない。

残るのは、やったという事実だけ。
結局は、この一枚の写真で十分なのかもしれない。

それでも、こうして文章に認めているのは、
わたしが伝えたい”LOVE yourself”は、わたしという一人間が、一アーティストが、一日本人が、一女性が、叫ぶことに意味があると考えるからだ。

この時代にこの国に生まれ育ったわたしだから。

わたしのアイデンティティーすべてを混ぜ合わせて
生まれたメッセージ。

作品とはそういうものだ。

あ、そう、これ、『旅する赤いソファ』はアート作品なのです。

だからわたしはわたしの目線で、
“今”の、白子侑季として書いている。

わたしが感じたこと、気づいたこと。

それもぜーんぶ、作品。

そんなの知ってるよ、という人もいるだろう。
やっと気づいたか、という人もいるだろう。

そういう人は、見守ってて。

そうだったんだ、知らなかった、という人。

共に気づきを分かち合っていきましょう。

知らないって素晴らしい。
感じるって素晴らしいよ。

あ、先に言っておきます。

答えを押し付けるつもりはない。
それは自分で見つけてね。
探すの楽しいよ。

そう、ここに書くことはすべて、わたしの身体を通したfactだ。

何を感じるかは、あなたの自由。


ここからは、
2019年の手帳を見ながら少しずつ振り返ってみることにする。

長くなりますが、どうぞお付き合いくださいませ。






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