2019-08-24
想像の向こう側
作品の話をする時によく、便宜上、「デジタル」とか「アナログ」とかって言葉を使い分けているけど、本当はそこの境界なんてどうでも良くて。
ただ、わたしが感じているのは、どんなにテクノロジーが進化してもそれはツール(手段)に過ぎないということ。
技術の進歩を見せるのと人間が魂込めて表現するのとはやっぱり違うな、と。
例えばプロジェクションマッピングのような最新の技術を利用すれば、目の前に宇宙空間が出現したり、魚が空中を泳いでいたり、美味しそうな匂いがしたり、冬でも虫の音が聴こえたり。
ただそれは、テクノロジーの進化を見せるための手段の一つであって、そこで映し出されるものは本来、受取手の想像の向こう側に広がる世界であるはずなんだよ。
・
答えを出しすぎちゃいけないってこと。
何も生まれないし、育たないし、つまんない。
・
提示されたものがすべてではないからね。
あなたの五感で感じてほしい。
だから五感を解放させるような
空気や世界観をつくることが大切。
それも作品。
ということはキュレーターもディレクターもアーティストだよね。
ようこそ、と言ったら、あとは、
観る人に委ねたい。
自由。
想像の向こう側に広がる世界を体験してほしい。
わたしはいつも、これまでの実体験から、
「アートは生モノ。
表現者と受取手の間に生まれる現象そのもの。」
と言っているけど、それは何もライブペイントやパフォーマンスに限った話ではないの。
昔、カラスのパン屋さんという絵本があった。
子どもの頃よく、その絵本を読んでいた。
ページをめくるたびに、パンの香ばしいいい匂いがした。
それと同じように、
ピカソのゲルニカを見たとしよう。
どう感じるか。
怖いかもしれないし、
悲しいかもしれない。
訳もわからず観たとしても、圧倒されて涙が溢れるかもね。
そういうこと。
どれも正しい答えなの。
どう感じたって、自由。
それがアートなの。
正解に近づけるよりも、体感する人自身が答えを探したくなるような作品づくりを目指したいな。